骨折日記


本文章はプライバシー上、個人名等はイニシャルにしてあります。 御了承下さい。

今回のスキーはエコーバレースキー場(車山の裏)である。 参加者はK1(SAJ準指)、 I1(SAJ1級)、 I1の奥さん(SAJ3級程度)、 K1の会社の後輩のI2(SAJ2級程度)、 看護婦M(スノーボーダー)、 看護婦N(スノーボーダー)、 K1の友人のK2(SAJ2級)とO(初心者)、 そして俺(SAJ1級)の総勢9名。 4台の車が出た。 2/14(金)の夜出、2/15(土)は順調に滑った。 雪もまぁまぁあり、天気も悪くなく、特に問題はなかったのだ。


2/16日曜日AM7:00

朝、起きると雪ががんがん降っているじゃないか! それも30cmを超える新雪。今年、K2は1級を目指すので力が入っている。 その友人Oと喜び勇んでスキーをしに8時に出て行った。 宿に残る俺達に無線で 「新雪、フカフカっすよ〜!」 と連絡が入る。

2/16日曜日AM10:00

じゃぁ、そろそろ行くかぁ、と腰を上げるが、 外の俺達の車を見たら、結構、埋まってしまっているので、 「その前に雪かきしよう!」ということで、残った人、総出で雪かきをした。 雪かきをしているうちに雪は雨になった。
そして、

2/16日曜日PM0:00

ピーカンの晴天。 「よし!いくぞ!」と俺達も準備をして宿を出る。

エコーバレーは正面の急斜面と奥のゲレンデの2つにわかれている。 急斜面のリフトからは、なだらかな連絡通路で奥のゲレンデに行けるので、 そのリフトで奥のゲレンデに行くことにした。

実はもう、この時点で怪我の序曲は始まっていたのだ。

連絡通路は本当になだらか。 俺とK1はクローチングでスケーティングとかで加速しないようにして、 ふざけながらスピードを争っていた。 左カーブでK1が山側にいる俺に幅寄せをしてきた。 そして、2人ともこんがらがって転倒! 後から来たI2に助けてもらわないと起きれないほどこんがらがっていた。 自分で言うのもなんだが、普段なら1日で1度こけるかどうか、という俺だが、 この日の転倒癖はここから始まっていた。

奥のゲレンデに行き、左はじのクワッドに乗る。 クワッド脇やゲレンデの両はじはまだバージンスノーが残っている。 ただし、雨を多量に吸い込んで、晴天の太陽に照らされ、 とてつもなく重い30〜50cmの新雪が。 しかし、俺達はこの状況でも「新雪だ〜!」と喜んで滑っていた。

そしてトリプルリフトの脇からはじまる急斜面にコブ& 新雪がほとんど残っていたのを見つけ、 まず1本滑る。雪が重いが楽しい〜!。

そして運命の2本目。
もう、急斜面が終わる、というところで転倒。 だが、これはセーフ。 5mぐらい離れてK1がいて、他の連中も20〜30mぐらい離れて滑っている。 自分は転倒したのがおかしくて、ヘラヘラ笑って、滑り出した。 そして、4ターン目、右へ山まわりターンをした瞬間、 左のスキー板が解放! 「え!?」 と思った瞬間、 左足はブレーキ!右足を軸にぐるっと一回転。 ところが右足はおも〜い新雪に埋まったままだったので解放しない! 「ボキ」 この音、何と表現したらいいか... 水中で2cm角の木を折るような鈍い音がした。 気がつくと倒れている。 右足の板は後ろを向いている。 「うわぁ〜!いたい〜!」と思わず板を正常な方向へ戻してしまった。 今思うと、よく回せたなぁと思う。 折った場所はよくわかった。ブーツの中だ。 私は前傾できるように上2つのバックルを緩めておいたのが裏目に出た。

骨折時刻2/16日曜日PM2:30

ここでやったのだ。

やはり転び癖がいけなかった。 もう少し真剣に滑っていれば...と言ってもあとの祭り。

K1がすぐにヤバイことに気がついて、無線で全員に連絡し、 パトロールを呼びに行かせる。 折れた右足の板を外し、板で×を作っていた。 3分ぐらいでパトロールのスノーモービル1台が来たが、 これは事故の確認だけ。 骨折していることを確認すると無線で本隊を呼んだ。 本隊はそれから5分ぐらいかかって来た。 何せ、場所はゲレンデの一番奥。 本隊はスノーモービル1台と担架のソリとそれを扱う2人。 早速、右足を固定にかかる。 固定するのはビニールの布みたいなものを巻く。 それに手動ポンプをつけてシュコシュコ空気を抜くと、 巻いた形で固まってしまうやつ。 でも完璧に固まるわけではないので、ちょっと体を動かすだけで激痛が走る。 でも、動かなければ我慢できるぐらいなので、とりあえず、笑顔で記念写真。 後で聞いたことだがビデオを持っていたI2は滅多にないことと、 病院までの一部始終をビデオに収めたらしい。

激痛に耐えてソリに乗せられ、 全身を紐で固定され顔まで布で覆われてしまう(雪がかかるから、って言っていた)。 そして、ゆっくり滑り出し、麓のパトロール小屋まで搬送されるわけだが、 このソリ、思ったより柔らかく、雪面の微妙なでこぼこまで伝わってくる。 そして、そのたびに体が動き足に痛みが走る。 そのうち、風で顔を覆っていた布がちょっとずれて外が見えるようになった。 あ、一緒に来ていたMとK2だ、と思って手を振ろうとしたけど、 両手も固定されていて何もできなかった。 なんか虚しい。 そのうち、顔を覆っていた風で布が全部取れてしまった。 そうすると、一般ギャラリーがのぞき込む。 リフトの下を通るときはリフトに乗っている人と目が合う。 いや〜、マジで恥ずかしかった。

そうこうしているうちに10分以上かかって麓のパトロール小屋に到着した。 そのまま、パトロール小屋のベッドへ寝かされる。 痛い。右足のブーツはちょっと外を向いている。 しかし、この角度以外は激痛が走る。 左足のブーツは脱がしてもらった。 さて、右足のブーツはどうするか? パトロールの話では「ここで無理矢理脱がせてもいいし、病院で脱いでもいい。 ただ、病院に行くとブーツを壊されちゃうかもしれないよ」ということだった。 結局、脱がすときの痛みでショック症状でも起こされては困る、 ということで、病院まではブーツを脱がさないことにした。

さて、こうなってしまったので、申し訳ないのだが、みんな帰ることになった。 I2のレガシーの後部座席半分を倒し、ベッドにして私を寝かせ、 諏訪IC近くの諏訪中央病院へ搬送されることになった。

2/16日曜日PM5:00

急なことなので、みなさん、結構、手間取ったらしく、 スキー場を出発したのは5時ごろになってしまった。 諏訪中央病院まで約1時間、長かったなぁ。 それに、カーブの遠心力とか道のほんの少しのでこぼこであんなに痛みが走るなんて。

諏訪中央病院へ到着し、状況を話す。 もう、痛くて痛くて限界まできていたので、ブーツの中で折れているし、 この状態でブーツを脱がされてたら死んでしまう、 と思ったので 「先生!ブーツぶっこわしてください!」 と頼んだ。ところが... 「あぁ?うちにはブーツを壊す道具なんてないぞ、脱がすしかない」。 が〜ん!死んでしまう。 スキーウェアはオーバーパンツだったのでチャックをあけて切らずにすんだ。 さて、次がブーツだ。 バックルを外すだけで激痛が走る。 耐えるために呼吸が荒くなり、過呼吸で手などが痺れてくる。 私のブーツは LANGE。 足にピッタリするようにシェルを加工してあるから、これはもうダメだ、と思った。 痛み止めの注射を打たれたが、効き目が出る間もなく、 K1と一緒に来たI1と先生など4人ぐらいで押さえ付けられ「1分我慢しろ!」 と言われた瞬間、ガバっとブーツが脱がされた。 ぎょぇーーー! 言葉にならない激痛! 骨折したときより痛い。 過呼吸はひどくなり全身が痙攣し始める。 が、先生は「ゆっくり呼吸しなさい」だけ。 このまま、レントゲン室へ連れて行かれレントゲンを取る。 この結果によって、この長野の病院で手術をして入院になるか、 横浜まで搬送できるかが決まる。 被害はちょっと高いタイツと靴下片方だけだった。

レントゲンを撮ったあと、しばらく診察室のはじで寝かされていると、 やっと痛み止めの効果が出て来たのか、 痛みは動かさなければ我慢できる程度になってきた。

そして、 レントゲンの結果が出た。
結構、どぎついかも...。 こういうのがダメな人は見ないでね。

右足の下腿(すねの2本の骨)、足首から5cmぐらい上を、 太い方(けい骨)が螺旋(らせん)骨折、細い方(ひ骨)が単純骨折。 レントゲンを見ると螺旋骨折は言葉通り、 みごとな螺旋状に一周半に渡って割れていて3mmぐらい隙間があいている。 細い方は「ここ」と指さされないとわからないが、斜め線が入っていた。

[レントゲンの簡単な説明]
前と同様、こういうのがダメな人は見ないでね。

先生はこれを見て、「何だ、単純じゃないか、そんなに痛いか?」 と言う(痛いんだよ)。 搬送できますか?と聞くと「当たり前だろ!」と結構愛想がない。 そして、看護婦が2人いることを知ると 「何だ、何も問題ないじゃないか。2人に説明しておくから」 と言ってどこかに行ってしまった。

さて、ここでこの2人の看護婦の説明をしておこう。 言っておくが不純なことはまったくないぞ。
I2の奥さんが横浜R病院のICU(集中治療室)の看護婦なのだ。 この2人はその奥さんの知合いで手術部に属する(手術の手伝いの看護婦)。 I2の奥さんは急に仕事で来れなくなってしまったので、この2人だけ来ていた。

この2人の看護婦が横浜R病院へ連絡をいれてくれて、 入院の予約を入れてくれた(予約つき急患になってしまった)。 横浜R病院は救急が主なので、ベットは常に満室。 私が単純な骨折で入れたのは奇跡に近い。 やはり、これも看護婦さんのおかげか。

骨折した右足をシーネと呼ばれる針金の入ったスポンジで固定され、 そのまま、レガシーへ。

2/16日曜日PM8:00

結局、諏訪の病院を出たのは夜になってしまった。 途中、私の携帯電話でいろいろなところへ連絡を入れた (話し方が悪かったのか、 右足下腿両骨折が、 会社やスキークラブなどには両 骨折になって伝わってしまった)。 夕食はレストランとかへ入るわけにはいかないので、 コンビニになってしまった。 すまんことをした。 途中、痛みが増したので、貰っておいた座薬の痛み止めを走行中に自分で入れた。 こういうときも看護婦さんはやり方とか、効き目とか、 効くまでの時間とか知っているので助かった。

中央道を走り、用賀から環八へ、そして第三京浜へ。

2/16日曜日PM11:00

横浜R病院へは予定時刻ピッタリに着いた。 私のチェロキーはK2が運転してくれて、 看護婦の特権というか病院内の駐車料金のかからない 秘密の場所へ置かれることになった。 横浜R病院では急患で診察室に入ったら、翌日、病棟へ移るまでは、 一般の人とは会うことができなかったので、 「いろいろすまん」の一言も言う前にスキーに一緒に行った連中とは 別れることになってしまった。 ただし、看護婦の2人は「ちょうどいいから使っちゃえ」という先生の意向で、 レントゲン室や救急室までの搬送とか使われていた。

レントゲンでは足を正面と横の2方向から撮るわけだが、 痛いのを我慢して、足を横にしたりした。 部屋の外で待っていた2人の看護婦は「結構、ヒーヒー痛がっていたね」 と言っていた。

ここから激痛との戦いが始まる。

寝れない。

骨折した所、足首、ふくらはぎの3箇所、 それも内部からドラでも叩かれているように「が〜ん、が〜ん」と痛みが続く。 看護婦さんに言って、痛み止めの座薬を入れてもらうが、ほとんど効かない。 少しうとうとっとすると痛みで目が覚めてしまう。 時計を見ると1分しか経っていない。朝まで長い。 結局、ほとんど寝ずに、翌朝、10時に6階の病棟へ。 そして、担当医のK先生が説明に来る。 「こういった単純な骨折の手術はやはり後まわしになってしまうんですよ。 手術はだいたい、金曜日か来週の月曜日ぐらいにやります。」 なぬ〜!1週間もこのままかよ〜! 先生によると1週間ぐらい、放って置いてもまったく問題はないらしい。

さて、ギプスをなぜしないか。
手術をしないでギブスをしても治ることは治る。 しかし、螺旋骨折は断面積が多く、また、 骨折した場所が骨の成長点でないはじの方なので、 ほぼ半年は太ももまでのギブスとなり、 変な風に骨がくっついてしまうこともありえる。 さらに、そのあとリハビリになるので非常に辛くなる。 手術をしてプレートで固定してしまえば、 ギブスはなく確実に綺麗に骨は付くし治りも早い。 リハビリも早期に始めることができる。 ということで、手術をすることになったのであった。

昼間も痛い。 TVを見ても集中できないから、番組の内容なんて何が何だかわからない。 ミニテトリスのゲームを持って来てくれた人や、 雑誌や本を持って来てくれたありがたい人もいるが、 気を紛らわそうにも集中できないのだ。 無理に集中すると気持ち悪くなる。 常に「う〜ん、う〜ん」と唸っているだけだ。 痛くて食事すら出来ないときもあった。 でも空腹感もない。眠気もない。痛みが全てを消してしまう。

このころから退院まで、やけに目につくTVコマーシャルがあった。 1つは、ペプシマンのスノーボード編だ。 もう1つが、NTTパーソナルで萩原健一が「骨折しちゃったもんね〜」というやつだ。 入院する前まではほとんど見かけなかったのに、 入院するとやけに目につく...むかつく。
もう1つ、TVで目についたものがある。 この病院のTVはBSまで映るのだが、 衛星第1でアメリカのニュースでスキーでの骨折事故の話をしていた。 最近流行りのカービングスキーで骨折する人が増えている、という話だ。 初心者でもカービングターンが簡単にできる板だが、 初心者ゆえに、予想もしないほど板が切れ上がるため、 体が追いつかずにブーツの中で骨折する、というものだ。 そこに出てきたアメリカ人の医者が「ブーツの中で折れたのなんか初めて見ますよ」 とぬかしていた。 ここにも居るぞ!(私のはカービングスキーじゃないけど)

夜は周りの騒音や光などが無くなる分、余計に痛みが強く感じる。 もちろん眠れない。ナースコールを押して、座薬の鎮痛剤を入れるが、 ほとんど効かない。 3時間毎に呼ぶが、そう頻繁に投与できないので、 「我慢しなさい」と言われるだけになる。 そのうち呼んでも来なくなってしまう。

夜は長い。

2/18火曜日

担当のK先生が来て、 「急だが、明日、手術をすることになったから」と言う。 でも、早いとこやってしまった方が退院も早くなるので願ったり叶ったりだ。 その日の夜9時から飲まず食わずになる。 下半身麻酔された状態で、 機能を停止した胃や腸に食物があるとおなかが痛くなってしまうそうだ。 その夜には浣腸もされる。うむむ。 あと、右足全部の体毛が剃られた。左足の太ももも剃られた。 こっちは、電気メスの電極が取り付けられるからだそうだ。 あと麻酔を打つ背中も剃られた。

その夜も痛かった。もちろん眠れない。

点滴は24時間やられていた。 内容は体液のようなもので、 熱がでた場合に脱水症にならないようにするためのものらしい。 だから、この点滴をやられるとおしっこが異常に出るようになる。 2〜3時間で膀胱がパンパンになる。 もちろん小便はシビンである。

2/19水曜日

手術日にはK先生から「手術は2時か3時ぐらい」と言われて、 うちの親もスタンバっていたのだが、無理矢理入れた手術なので、後回しにされ、 結局、お呼びがかかったのは午後7時30分。待った〜。
看護婦がストレッチャーという寝台を持って来て、そこに寝て病室を出る。 4階の手術室の中に入ると、そこは広い待合室のようになっている。 そこで、手術室専用の寝台に移って、やっと本当の手術室へ入る。 横浜R病院は手術室は4部屋ぐらいあるようだ。 手術室の中は非常に綺麗。 入口の脇にはデジタル時計が2つあり、1つは麻酔時間、 もう1つは手術全体の時間がカウントされていた。

さぁ、手術の始まりだ。 寝台が固定されると、先生の操作で自動的に寝台が上がる。 下半身麻酔を打つわけだが、これには体を横にして背中を丸めなければならない。 が、右足が動かないので、左足だけ抱えてなんとか背中を丸めることができた。 麻酔自体は背中の腰に近い部分でほんの少しチクッとした後は、 何も痛みは何もなかった。 何本か注射をしたようだが、それも感じなかった。 ちょこっと動こうとして「あ、ダメダメ、今、針刺さっているから」 と言われたぐらいだ。

麻酔の注射が終わると、麻酔を下半身、特に右足に集中させるように、 体を横にしたまま、足の方が下がるように寝台が傾く。 この寝台は上下、傾けが自由自在なのだ。 しばらくすると足の先から痺れてくる。右足はまったく感覚がなくなった。 左足もほとんど感覚がなくなった。 麻酔科の先生が「これわかる?」と足を触っているようだが、 「は?」と言ってしまうぐらい何も感じなくなった。
さて、ここでオチンチンに管が差し込まれる。 そうしないと下半身が麻痺しているので排尿できなくなって 膀胱がパンパンになってしまうからだ。 これも痛くはない。何かされているな、とはわかるけど。
麻酔が効いてきたら、寝台が水平にされた。 少し痺れが上に登ってきたが、呼吸できないほどじゃない。

すでに、左手には点滴、血圧計、胸には心電図の電極が付けられ、 目の前に幕を張られてしまい、下半身は見えない。 この手術室はかすかに有線放送がかかっている。 看護婦さんが「有線放送がヘッドホンで聞けますけど、します?」というので、 付けてもらった。邦楽だったのでチャンネルはそのまま。 何とサービスがいいんだろう。 でも、手術が始まって、すぐに寝てしまったのだが。 麻酔で今までの痛みが消えたのだから、気分は最高なのだ。

目が覚めたのは骨を結合するプレートを固定するネジ穴を骨にあけるドリルの音だ。 これは前もってスキーに一緒に行った看護婦に聞いていたのだが、 「ウィ〜ン、ウィ、ウィ〜ン」と、結構いやな音がする。 そして、縫合にはいるわけだが、 これがかなり強く縫合するので上半身が引っ張られたりする。 もちろん、幕にさえぎられ、痛みも何もないので何をされているかはわからない。 そして、看護婦が「はい、終わりましたよ」と行って幕がとられ、 心電図の電極や血圧計などが外された。 見ると、右足は手術前と同じように包帯ぐるぐるまきでシーネで 固定されているだけだった。 だが、ともかく感覚がない。 足を曲げた状態で感覚を失っているので、足が伸びていても、 自分の感覚としては曲がった状態の足があるように感じる。 とっても変な感じ。

手術終了時間は午後9:00。
麻酔30分、手術時間は1時間だった。
おなかが非常に減っていたが、翌朝までは飲食はできないそうだ。 36時間ぐらい飲み食いできない計算になる。

待合室へ出され、麻酔科の先生が麻酔の効き具合をみる。 手術が終わった今も、完璧にかかっているようだ。 しばらくすると私のベッドが運ばれてくる。 そして、ベッドに移動して、そのままレントゲン室へ移動し、 治療した場所のレントゲンを撮る。

レントゲンだが、今回は足を横にしたりせずに、 足をまっすぐにした状態で正面と横を撮影された。 ここのレントゲン写真の機械はカメラ(というか放射する部分だね) の方がずっと下まで下りて来て、 さらに横を向いて写すことができるのだ。 くそ!最初のときの方が痛いのに、 なんで痛いときだけ足を横に回転させたりするんだよ〜。

その後、病室へ運ばれる。 すぐに、病室にK先生が来て、 病室で俺と親に手術のレントゲン写真を見せながら説明をした。 螺旋骨折で3mmぐらい離れていた部分はピッタリくっつけられて、 幅2.5cm、長さ8cm、厚さ3mmぐらいの 靴べらのようなプレートがネジで固定されていた。 「プレートは10本ぐらいネジで固定されていますから」と言っていた。 なお、細い方の骨はそのままである。

骨折部をプレートで固定されたレントゲン写真 その1
骨折部をプレートで固定されたレントゲン写真 その2
写真がちょっとボケてしまった。 こういうのがダメな人は見ないでね。

麻酔はその後6時間ぐらい抜けなかった。 自分でお尻をさわっても感覚がない。 まるで別の死体を触っているようだ。 足は伸びているのに曲がっている感覚だし。 でも、だんだん、痺れが戻ってきて、その後、 感覚が戻って左足は動かすことができるようになってきた。

麻酔がぬけてくると、また右足が痛みだす。 手術前より痛い。 当たり前だ、骨が折れている痛みの他に、 手術で肉がさかれ、縫った痛みが加わっているのだから。 こりゃ、死ぬほど痛いぞ。 夜中に看護婦さんを呼ぶ。 座薬の鎮痛剤を入れるが、まったく効かない。 3時間後に再度呼ぶ。 今度は血圧を計られ、肩に注射の鎮痛剤を打たれた。 おや!これは効いた。 しばらくするとふわっと気分が楽になり、眠ることができた。 が、これも効き目は3時間。朝には痛みが戻っている。 特に昼間などは鎮痛剤は投与してくれない。 夜の方が痛いので、昼間に投与すると、 時間的に夜に投与できなくなってしまうからだ。 うなり続ける。 いろんな人が見舞に来てくれたが、 痛みでほとんど対応できなかった。悪いことをした。

翌朝、看護婦が来て右足の指を動かすように言われる。 指は曲がるが、反らすことができない。 親指から薬指までが痺れている感じがする。

2/20木曜日

今夜も痛い。 「座薬は効かないから注射のやつにしてくれ」と言うが、 なかなかしてくれない。 1日2回が限度だ。 1回3時間しか持たないので、残りの18時間は痛いままだ。 入院してから1日2〜3時間しか睡眠できていない。 けれど眠たくはない。

翌日、スキーに行った看護婦Mが見舞に来てくれたので、この注射の話をすると、 「あぁ、あの薬は難しいのよ。半分麻薬みたいなものだから、簡単には打てないよ」 と言われた。 彼女は「もっと効く座薬を、今度、内緒で持ってくる」と約束してくれた。 その晩も痛かったので、結局、この注射を1回打ってもらった。 そのとき看護婦さんが 「あんまり打つと中毒になってしまいますからね」 と釘をさされてしまった。 このときやっと気がついたのだが、この注射、鎮痛効果は全くない。 よ〜く、考えると右足の痛みはしっかりある。 ガンガン痛い。 しかし、この注射、そんな痛みなんかどうでもよくなってしまうのだ。 ぽわ〜んと気分がよくなり、気持ちよい眠気がくる。 彼女の言った通り、これは麻薬だ。 結局、この注射はこれが最後になった。

さて、麻酔が完全にきれるとオチンチンの管を抜かなければならない。 おしっこがしたくなったら看護婦さんを呼んで抜いてもらう。 これが、痛いというか、なんというか、変な感じだ。 ほぇ〜とため息が出てしまいそうな感じだ。 抜かれた管は直径5mm、長さ15cmぐらいあった。 こんなのが入っていたかと思うとびっくりする。
このとき、傷口の脇に刺さっていた直径2mmぐらいの管も抜いてもらう。 これは、内出血した血を抜くものだ。 ズルズルっと10cmぐらい出て来た。 ちょっと痛かったけど他の部分の痛みに較べれば大したことはない。

2/21金曜日朝

痛みはびっくりするぐらい減っていた。 傷口は痛むが他の痛みは激減している。 これなら、もう少しは眠れそうだ。 看護婦が来てまた右足の指を動かすように言われる。 ところが、今度は曲げることもできなくなってしまった。 無理に曲げると指の付け根に痛みが走る。 よく見ると右足がパンパンに腫れている。

2/21金曜日PM2:00

S先生が看護婦を3人ぐらい連れて来た。 20cm四方の箱の機械を持ってきて、 「う〜ん、腫れているなぁ。ちょっと痛いけど我慢して」と言って、 包帯を取り、その機械から伸びている長さ3cmぐらいの針を傷口の脇に、 なんと縦に刺した。 痛いが、刺されてしまえば我慢できた。 傷口は糸で縫われていないで、 26個のホッチキスのようなクリップで止められている。 う〜ん、かなりグロテスク。 このS先生、機械の使い方がわからないらしい。 「う〜む、ゼロリセットできないなぁ。この機械どうしようもないなぁ」 と何度も針をズバズバ刺し直す。 こら!こっちは痛いんだぞ! 結局、この機械を使用したことのある看護婦やメーカーの サポートを呼び出して(なんと10分ぐらいで来た)、 やっと計った値が50mmHg。 この値は皮膚の内側の圧力の大きさで、手術後などは内出血があるので、 ある程度は高くなる。 だが、正常値は20mmHg前後らしいが、50mmHgはまずいらしい。 ここまで高くなると神経や血管を圧迫し、足の指などが動かなくなるそうだ。 実際、昨日は動いた足の指が動かなくなってしまった。 そして「場合によっては、傷口をもう一度開いて出血をさせるから」 という恐ろしいことを言ってS先生は去って行った。 あとで、一緒にスキーに行った看護婦Mから聞いたのだが、 このS先生、院内ではちょっと有名なサディストだったのだ。 だから患者が痛がっても、なんとも思わないらしい。

2/21金曜日PM3:00

S先生はもう1人の先生と5人の看護婦と医療器具の入った巨大な ワゴンを連れて現れた。 「やっぱり、開くから」と言って、 その部屋の見舞に来ていた人を全員部屋から追い出し、 動けない患者のベッドにはカーテンを引き、 私のベッドの上で処置を始めた。
まず、縫合してあるクリップを外す。 これは5cmぐらいの小さなペンチをクリップの真ん中に差し込み、握ると、 クリップが反って、刺さっている部分が皮膚から抜ける。 これが痛い。 26個もあるので、痛みが何度も走る。 もちろん、手術室ではないので、さえぎる幕もなく傷口は私にも見える。 やっとすべてのクリップをはずすと、 今度は鉗子でくっつきはじめた傷口を引きはがす。 もちろん麻酔などはしない。 何故しないかというと麻酔をするには麻酔科の先生がやらなくてはならず、 そのためには手術室を確保しなければならないのだが、 救急病院であるので、 そう簡単には手術室を確保することができないのである。 まして、S先生はサディストなので痛がる患者を何とも思わないらしい。 この肉を引きはがすのはマジで痛かった。 骨折したときよりも痛い。

気絶するかと思った。

肉の内部も皮膚と同化する糸で縫ってあったのだが、これも切る。 もう、傷口は血の海だ。
そうして、長さ15cm、幅3cm、深さ1.5cmにぱっくり開いた傷口ができた。 今度は消毒だ。うがい薬のイソジンを知っているだろうか? あのイソジンの消毒液である(もちろん傷口用である)。 たっぷり染み込ませた脱脂綿をモロに傷口にたらし込む。

ひ〜!

最後に、傷口にガーゼを何枚も乗せて包帯で縛り、もとのシーネに固定された。 もちろん、ガーゼの下はぱっくり傷が開いたままである。 だが、不思議なことに、処置が終わると傷口は多少痛むが、 思ったより痛みは少なかった。 でも、やっぱり眠れそうもない。 このまま4〜5日、傷口は開いておくらしい。 今まで、腫れを冷やすために2つの水枕をつかっていたが、 これからは3つに増やされた。

2/22土曜日

担当のK先生が見回りに来て消毒をして行った。 K先生は血で皮膚にくっついたガーゼをそ〜っとはがしてくれる。 ただし、消毒のイソジンは死ぬほどしみる。 あとで、看護婦さんが見回りに来たときも 「いや〜、昨日はすごかったねぇ。あれは絶対痛いよ。 私だったら耐えられないよ」と言っていた。 やはり麻酔なしでは滅多にやらないことらしい。

この日からトイレだけ車椅子で行ってよい許可が出た。

夜に面会に来てくれたスキーに一緒に行った看護婦Mから、 例の強力な鎮痛剤の座薬を3つもらった。 あまりに強力なので使用できるのは1日1回だけだそうだ。

2/23日曜日

土日は基本的に先生は休みなので看護婦の見回りだけだった。

2/24月曜日

消毒に来たのはS先生(;_;)。 血で皮膚にくっついたガーゼはビッといきなりはがすし、 動かすと痛む足の指はぐりぐり動かす。 だけど、傷口を開いたおかげで、腫れはかなり引き、 足の指も動かすことができるようになった。 その後、K先生が来て、2/25火曜日に手術室で開きっぱなしの傷の 縫合手術をすることを聞かされる。 今度は下半身麻酔ではなく、傷口のまわりだけの局所麻酔だ。 また、足の剃毛をされてしまった。

2/25火曜日PM2:00

前回と同様に手術室へ行く。 実は午前中の予定だったのだが、 手違いで私は朝食を食べてしまったのだ。 状況によっては下半身麻酔に移行することも考えられるので、 本当は食べたり飲んだりしてはいけないのだったのだが、 看護婦さんが私に連絡するのを忘れてしまったのだ。 そのため、手術が午後になってしまった。 このとき、マジでいやな予感がした。

そして、予感は的中した。

手術に立ち会う看護婦は2人ともスキーに一緒に行った2人だったのだ。 やはり、身内がいるのはちょっと嫌な気分。 そして、縫合手術をするのは担当のK先生と、あのS先生。 最悪じゃ〜。 また、心電図や血圧計をつけられ、目の前は幕がかけられた。 まず、最初は消毒だ。 右足全部をあのイソジンで消毒するのだが、傷口はやはりしみる。 次に局所麻酔だ。 これは下半身麻酔とは違い、

非常に痛い。

まるで火花の散るカッターで傷のまわりを何度も何度も切られているような痛みが走る。 やっと、麻酔が効いてきて、傷口の痛みも感覚もなくなった。 次は傷口の洗浄をする。 多分、足の下に、トレイを置いて水で傷口を洗浄しているのだと思うが、 傷口は麻酔で痛くないのだが、トレイのふちがひざの下に当って痛いのなんのって。 先生たちは何で痛がっているのかわからなかったようだが...。 洗浄中に傷口で麻酔が足りない所が痛むと、また、あの痛い麻酔をされてしまう。 結構、長く洗浄したあとに縫合に入る。 これが、また問題で、傷口が開きっぱなしだったので、 まわりの皮膚が縮んでしまった。 そこで、ぐいぃっと皮膚を引っ張るのだが、 なぜか、麻酔のかかっていないふくらはぎあたりを指でぐりぐり揉むやつがいる。

痛い!痛い!

そっと看護婦Nに聞くと、やはりやっているのはS先生だった。 そうこうしているうちに縫合されて、手術は終わった。 全行程、約1時間。 手術室を出るときに、 看護婦Mに「局所麻酔はどれぐらいできれるの?」と聞くと 1時間ぐらいできれてしまうらしい。 そして、やはり麻酔がきれると痛むらしい。 う〜ん、また眠れないのかぁ?

病室に戻って、きっかり1時間。 みごとに麻酔がきれた。 痛い。こ、こりゃ、夜は眠れないぞ。
看護婦さんが来て「鎮痛剤必要ですか?」と聞くので、 「夜までは我慢します」と言っておいた。 夜に時間的な制限で鎮痛剤が使えなかったら最悪だ。 しかし、痛い、こりゃ夜の12時まで我慢できるかなぁ。 ま、例の薬もあるし、なんとかなるかな。
ところで、縫った傷の痛みが面白いのだ。 麻酔なしで縫っているように、 傷の下から上へ順番にぐいぐいと糸が引っ張られるように痛む。 まるで、縫合手術中、麻酔によって失われた痛みを再現するようだった。

2/25火曜日PM9:00

とうとう、例の強力な座薬を使用してしまった。 12時まで我慢できなかった。 しかし、これは効く。20〜30分で痛みがなくなり、しっかり眠れた。

2/26水曜日AM6:00

起きると足の痛みがどこにもない! もう、例の鎮痛剤の効き目もきれているころなのだが。 ちょっと傷口は痛むが眠れないほどではない。 ちなみに今度は傷口は糸だけで縫ってあった。

やった!やっと痛みから解放された!!

さて、退院の日取りだが、通常、縫合してから2週間で退院なのである。 したがって、最初の手術で順調ならば3/2には退院できたはずなのだ。 しかし、その後に、傷を開いてしまったので、約1週間、退院が伸びてしまった。

そして残りの日は退屈との戦いとなった。

暇だ。

何もすることがない。 昼間のTVはつまらん。 見舞で持ってきてくれた雑誌は数時間で読み切ってしまったし、 ミニテトリスは無限に続けられそうで、20分ぐらいで飽きてしまう。 唯一、見舞で来てくれた人と話すのが一番楽しい。 物などいらないから、もっと俺と話して欲しい、と思うようになった。

そうそう、ここは救急病院だけあって、患者の回転が早い。 こうしているうちに6人部屋の3人が退院し、 1人が転棟(別の科に移った)したが、ほぼその日のうちに、 そのベッドに新しい患者が入る。 私の左に来たジジイが最悪。 1日のほとんどは寝ている。 食事のときだって、看護婦さんに起こされないと起きない。 寝ている間はいっときたりともイビキが止まない。 耳栓、用意しておいてよかった。 私の右に来たおじさんは、院内で使用禁止の携帯電話を、 夜中にこっそり使っている。そして、何度も看護婦に怒られている。 私の左正面に来た人はタイ人だ。 片言の日本語と英語がしゃべれるようだが、 術後の症状を聞く看護婦さんは困っていた。 日本語がダメなとき、タイ語は無理なので英語になるわけだが、 みなさんは「指はしびれていますか?」というのを英語ですぐに浮かぶだろうか?

未だに移動は車椅子だ。 足も高く上げていないとすぐにうっ血してしまう。 したがって、トイレ以外はベッドから出れなかった。

3/3月曜日

もう退屈には我慢できない。 抜糸は3/11ごろなのだが、今週中に退院してやる! 抜糸のときだけ病院にくればいいじゃないか。 と思って、傷口の消毒に来たK先生に退院を早めてくれるように頼んだ。 そうすると、「う〜ん、本当は3/19ぐらいの退院だけど、 めいいっぱい早めて3/12だなぁ」と言う。 それ以上はまけられないらしい。
仕方ない。 しかし、3/9は俺の誕生日で免許が切れてしまう。 免許の書き換えには間に合わないようだ。 3/5に装具(踵をつかずに、膝で体重を支えて歩行できるようにする 義足のようなもの)の型どり、 3/6からリハビリ開始、 3/10に抜糸、装具の仮合わせが3/12、 で退院した後、3/19に装具を受取、というように決まった。

あとで思うことだが、 みなさん、似たような状況になったら、 多少、退院が遅れてもリハビリは退院前に受けられるものなら受けておいた方がいい。 松葉杖の経験がない人は特にそうだ。 経験があっても、手術した足がうっ血するので、 いきなりは歩いて退院なんていうのはきついぞ。

3/5水曜日

長かった点滴生活とお別れだ。 右腕に固定された針は、根元から血が出て固まっているが、 これをやっと抜くことができた。 点滴を着けていると、小便は多くなるし、身動きも自由に出来ないし、 逆流すると面倒だった。 朝晩2回の化膿止めの点滴は、ちょっと操作して早く終わるようにしていたが、 それもしなくてよくなった。

3/6木曜日

この日から足を固定していたシーネを昼間だけ外してよいことになる。 一見、何も右足につけていないので健常者と同じに見える。 夜は寝返りなどから足を保護するためにシーネで足を固定する。 10時にリハビリへ行くように言われる。 ここの病院はちゃんとリハビリ科があって、 専門の先生がリハビリを指導してくれる。

まず、最初に足首のストレッチをされる。 ほとんど動かさなかったので、完璧に足首の間接が固まってしまって動かない。 90度を超えると骨が痛むので、それ以上負荷がかけられず、 間接が固まらないようにしておく程度しかできない。 プレートで固定されてない細い骨がまだくっついていないようで、 足首を動かすとポキポキ音がする。 K先生に言わせると「ほっておけばいい。重要な骨じゃないから、 そのうちくっつく」だそうだが、あまりいい気分じゃない。

その後、松葉杖の練習として、平行棒で体をささえて、片足で歩行する訓練をする。 ところが、立ち上がると右足が一気にうっ血して、 痛くて痛くて数mぐらいしか歩けないのである。 先生が言うには慣れだそうだ。 筋肉が動けばポンプの作用でうっ血が取れる(だから健常者はうっ血しない)そうだが、 私の右足は膝からしたが動かない。 数m歩くと車椅子に戻って、右足を上げてうっ血を取る。 しばらくやったあとは、足の筋力トレーニングだ。 右足はまったく使用しなかったので、 見ただけではっきりわかるぐらい筋肉が落ちている。 そこで足上げをしたりして筋肉を少しでも取り戻すのだ。

3/7金曜日

今日のリハビリは歩行練習から入るが、 今度は何m歩いても右足が痛くならないのだ。 うっ血することはするのだが、前日の半分ぐらいで止まる。 足の指を動かすとさらに楽になる。 月曜日からは実際に松葉杖での歩行訓練をすることになった。

3/10月曜日

リハビリで松葉杖の歩行訓練をする。 足は大丈夫だが、手が真っ赤になることに気がつく。 これはつらい。そのうち抜糸で病室へ呼ばれたので、 リハビリは中止して、病室へ戻る。 げ!S先生だ。と思ったが、抜糸は雑にされても痛くなかった。

3/11火曜日

リハビリで松葉杖で階段の練習をする。 私の住んでいるアパートの前は45度100段の階段があるからだ。 練習してみるとなんとかなりそうだ。

3/12水曜日

退院の日だ!嬉しい! その前に、装具の仮合わせをしなければならない。 右足の太さに合わせて目印を付ける。 あと、右足が高くなるので、そのままだと、うまく歩けなくなる。 そこで、左足の靴を改造し3cmぐらい足の裏を高くする。 そのため、帰るために用意していた靴を片方取られてしまった。 仕方なく病院内で使っていたスリッパで帰ることにした。
そして、うちの親に車で迎えにきてもらって、念願の退院をした。 1ヶ月ぶりの外気だ。嬉しい。

3/13木曜日

うちの父が田町の会社まで車で送ってくれるというので、 休暇にしてあるけど出勤してみることにした。 久々の会社だ。ほぼ一月来ていない。 電子メールは3000通も溜まっていた。 この日はメールを読むだけで帰った。 帰りは電車で帰る。 駅まで普通なら10分だが、松葉杖だと30分かかった。 京浜東北線は鶴見行きが丁度来たのでそれに乗ったので、鶴見までは座って行けた。 鶴見から横浜までは立っていたが、こんできたときに近くにいたおじさんが 「俺がブロックしてあげるから」と壁になってくれたので助かった。 相鉄線ではおじさんが席を譲ってくれた。 でも、座っているだけでも結構つらいものだ。 やっとの思いで実家に着いたら両手にマメができていた。 時間は2時間を超えていた。 ここでわかったのは松葉杖は上り坂が一番辛い。 次が平地と下り坂、階段は思ったより楽だった。

3/14金曜日

今日は免許の書き換えに二俣川の自動車試験場まで行く。 実家は試験場の近くなので、朝、うちの父が送ってくれた。 試験場の案内に骨折で入院して失効したことを告げると、 適性相談室というところへ行くように言われた。 行くとおじさんが一人座っている。

前もって、安全協会へ問い合わせたときは、 通常の書類と完治すれば運転には問題ないという診断書があればOKと 聞いていたのだが、 事情を話すと、今、この状態では条件が加わってしまうそうだ。 さらに、診断書は失効してから6ヶ月を過ぎるまでは必要ないそうだ。 そして、失効してしまったので、本籍の記載がある住民票も必要だそうだ。 住民票は取りに行ってくれば午後の受けつけには間に合う、 といったが、条件の追加にはまいった。 このままだと2つの条件がつく。 右足でブレーキを踏むには50kgの荷重が必要で、今の私には無理そうだから、 左足ブレーキになる。 したがって、普通免許に関しては「左足ブレーキが可能なように改造したAT車」 となる。 また、自動二輪もブレーキが踏めないので 「250ccまでのAT車(つまりスクータ)」となる。 そして、完治しても条件は解除できず、 この条件を解除するには最初から免許をとり直さなければならないそうだ。

そこで、ちょっとヤバイが、普通車のブレーキの適正テストを受けてみることにした。 運転席とディスプレイがある機械が部屋にあって、それに座る。 ブレーキを踏むとディスプレイのバーが上に伸びる。 めい一杯上まで行って50kgである。 40kgぐらいから骨にちょっと痛みが走ったが、 プレートで固定されているだけあって、なんとか50kgを達成した。 次はアクセルからブレーキへ踏み換えが0.6秒以内にできればOKだ。 これもなんとかできた。 よって、普通免許に関しては何も問題がなくなった。 そして、自動二輪に関してはテストはないので、そのままクリア!

しかし、どんでん返しがあった。 この適正相談室をクリアすると通常の適正試験をクリアしたのと同じになるので、 免許は発行されるが、受け取るときに松葉杖はマズイ、と言うのだ。 受け取るときに「それじゃ、自動二輪は運転できないでしょ」と 拒否される可能性が高い、とそのおやじは言いやがる。 そうなると、そこで戻されて、自動二輪にまた条件が付いてしまうそうだ。

結局、今、発行しても6ヶ月以内に発行しても同じなので、治ってからおいで、 ということになってしまい、免許は更新できなかったのだ。

痛い思いをして頑張ったのに!

う〜ん、今度、病院の先生になんて言ったらいいんだぁ。 50kgも荷重かけちゃったけど、免許が交付されたんだったらともかく、 追い返されてしまったのでは...。
この部署、結構、暇みたいで、おじさんは話しだすと なかなか返してくれないので注意が必要だ。 もちろん、私の後に来る人はいなかった。

3/15土曜日

とうとう自宅のアパートに帰る。 雨が朝から降っていて、こりゃ帰れないかな、 と思ったが、昼頃にはやんだので帰ることができた。 家の前の100段の階段も思ったより辛くなかった。 アパートの階段がちょっとせまいけど、なんとかなるだろう。

よし!これでやっと復活だ!

長かった。入院するような骨折なんてしない方がいい。 それから骨折するなら腕の方がいい。 それも骨の真ん中をまっすぐ折ろう。 そうすればすぐにくっつくぞ。

おまけ

今回、私には保険が3つ出る予定だ。 エコーバレースキー場が加入しているもの、 AIU のスキー保険、 あと自分の生命保険についている傷害保険。 しかし、いろいろ出費があったので、計算するとこれだけ出ても±0、 とんとんというところだ。 う〜ん、せめて少しでも儲かってくれればよかったのだが...。

つづく(その後へ)
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